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08:10

日系ブラジル人とコーヒー

「日系ブラジル人」ってよく耳にはしていましたが、正直どうして移民したのか今まで知りませんでした。
1908年(明治41年)、第1回ブラジル移民船「笠戸丸」が神戸からサントスへ向け出航しました。日本人・水野龍は帝国植民会社を興し、サンパウロ州と3年契約を結んで第1回は1908年5月、第2~3回はそれぞれ4月のサントス着を目指して毎年1,000人を送り出しました。到着月はコーヒーの収穫時期にあわされたものです。
 第1回は出航が遅れ、神戸~サントスまで52日の航海。熱帯、亜熱帯を通る西航ルートで、「6月18日」に到着しました。※この日を記念して、「移民の日」と定めています。
 第二次世界大戦までの、ラテンアメリカへの日本人移民は、ブラジル約189,000人、ペルー約33,100人、メキシコ約14,500人、アルゼンチン約5,400人、その他2,600人であわせて240,000人以上にもおよびました。
 すごい人数ですよね。日本とコーヒーとのつながりがこんなに深いものとは知りませんでした。
1913年(大正2年)には、東京・銀座に「カフェ・パウリスタ」の1号店が誕生しました。「カフェ・パウリスタ」は、サンパウロ州政府から、その宣伝と普及を兼ねて12年間にわたり、無償でコーヒー豆の提供を受けました。3階建ての白亜の館で、大理石のテーブルを配した豪華な店でした。コーヒー1杯が5銭と、銀座に先に開店していたカフェ「プランタン」の3分の1の値段だったので、たちまち大人気になりました。大正時代に入ると「カフェ・パウリスタ」は20以上の店舗を構え、コーヒーの普及に大きく貢献しました。
 それは敵わないですよね~。でも、コーヒーが普及した理由はわかりましたよね。

 今回はコーヒーの歴史より日本におけるコーヒーのお話を書いてみました。

wrote by はるちゃん : 2005年06月04日 08:10